百合に寄り添う蓮華の作法

百合と妹って、黒鮪と松坂牛みたいじゃない?

疑うこと

はじめに断っておきますが、序盤気持ち悪いと思われかねない例え話をします
なのでこれに関しての批判はなしでお願いします
それができなそうならブラウザバック推奨です
また、とにかく国語力がないので読むに耐えない文章かもしれません

 

 

 

 

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突然ですが、なぜ禁断の愛というものが存在するのでしょうか
血縁関係のある人同士の関係ならば、子供に先天的障害が出てしまう可能性が高いから、というもっともな理由があります
では、それ以外、たとえば同性愛だとか、義理の兄妹間、従兄弟などはどうでしょうか
後ろの2つに関しては法律的には問題ないですが、それでももし目の前にそういう2人がいたら、えぇ…って思ってしまう人は少なくないのではないかと思います
世の中にはほぼ全てのニーズに答えられるほどさまざまな自由な創作物に溢れていますが、それでもこれらのジャンルでは「禁忌」が前提であるように感じます
その背徳感がいいとかそういうのを求められているからとか色々でしょうがここでは置いといて、僕が気になったのは「なぜ禁忌なのか?」ということです
つまり、なぜ同性愛や義理の兄妹間の恋愛は、禁忌となってしまうのかということです
そしてこの答えは単純で「常識的に倫理的に考えてダメ」だからでしょう

 

海外では同性愛は認められていますが日本ではまだですね
というかこの「認められる」という表現も気に食いません
普通の恋愛を「認める」というのは間違ってはもちろんないですがニュアンス的に違和感があります
この「認める」という表現も結局、義理の兄妹間の恋愛と同じように、「法律上はいけるけど倫理的にはよくない」ということを表しているように感じます
もしここに書いてる僕の認識が他大勢の見解とずれてて「いや、義理の兄妹間とか普通じゃない?」とか「同性愛も普通の異性の恋愛も同じでしょ」という方がマジョリティなのであればこの記事は一瞬で削除しますが、そうじゃない前提で書いていきます

 

少し話が逸れました
このような俗に言う禁断の愛が「常識的に倫理的に考えてダメ」なのはわかります
では、「なぜダメなのか?」です
当人が不幸になるから
なぜ?
社会的生活を営めないから
なぜ?
常識や倫理に反しているから
なぜ?…………………………
以下略

 

こいつは何が言いたいんだってなりますよね
つまり、根本の根本まで遡るとどこに行き着くのか、です
常識ではだめ、倫理的にだめ、ではそれを定めたのは何なのか
それは人であり、時間です
ではなぜそうなったのか?
なんでなんですかね?今の僕にはわかりません
もしかしたらわかる人はいっぱいいるかもしれません
でもそれをさらにさらに果てしなく突き詰めていくと、いずれ壁に当たってしまうと思います
最終的に「そういうものだから」という答えに至ってしまうのではないでしょうか

 

他の例で例えてみます
国語辞典でわからない単語を調べると、当然定義されてるわけですが、そこにもやはり単語は使われるわけです
それを調べて、調べて、、と突き詰めると、やがてループし始めます
そしてそれは当たり前です
言葉を定義しているのは言葉であり、その言葉もまた言葉によって定義されているからです

 

算数で、1+1=2なのは常識ですが、なんで1+1=2なんでしょうか
1とかなにか?2とはなにか?+とは?
もちろん定義したのは昔の偉い人なわけですが、これってほんと何なんですかね

 

 


当たり前のことでも立ち止まってさまざまなことに思考を巡らせるということはとても大事なことだと思います
そうすることでこれまで思いも寄らなかった斬新な視点から物事を見つめ、新たな発見をしたり、案外わからなかったり、改めて自らを知ることができたりするからです

 

考えるまでもない前提、当たり前の日常や現象、こういったものにも、一度疑い、根本的なところまで遡って考えること
これってしてるようで全然してなくて、とても難しくて、そして大切なことじゃないかなと思います
行き詰まったり冷静さを欠いたときに、一度してみると良いかもしれません

 

 

最後に、なんで序盤こんな意味不明な例え話をするのかと思う人もいるかもしれませんが、これは僕がここ数日で「ドメスティックな彼女」を読みいろいろ考えることがあり、単純に書きたかったからです